普段「学び」という語が乱発されていることがどうも引っかかるので、何故かなあと。
学びって、何でしょうか。
セミナーに行きました、研修会に出席しました。
勉強させて頂いています。学びました。勉強になりました。
被災地支援に行きました、たくさんの学びを得ました…。
勉強させて頂いています。学びました。勉強になりました。
被災地支援に行きました、たくさんの学びを得ました…。
学びってそういうところに特別に用意されているものなのでしょうか。
研修会という場では確かに新たに情報を得ることはありますが、私は子育てや夫婦関係、人との対話や確執、地域(生活の場)での振る舞いや立ち位置、旅先の新しい出会い、はたまた日常の読書や芸術鑑賞などから、結果的に深く学ぶことの方が多い気がします。
いちいち学ぶとか学んだということを言わないとだめなのでしょうか。
ここからここは学び、ここからはオフ、という考え方自体、正直よくわかりません。
人生、自覚して主体性を持って漫然と過ごさなければ、一瞬たりとも学べない時間はないように思います。
いつも吸収して進化したいので、だから、今日は勉強させて頂きますとか学びました、とかあまり言いたくない。
人生、自覚して主体性を持って漫然と過ごさなければ、一瞬たりとも学べない時間はないように思います。
いつも吸収して進化したいので、だから、今日は勉強させて頂きますとか学びました、とかあまり言いたくない。
多分、業務中に学ぶという言葉を耳にする度に引っかかるのは、「学び」は自分の糧になったという、ある意味自分中心の発想ですが、仕事や支援はあなたの学習が目的ではなく、どれだけ他人や社会に力を還元しているかですので、それが求められる場面で、感想は「学びました」「勉強になりました」は、ちょっと無神経とさえ思うのです。