今日はいつもと少し違う切り口で。
仏教はじめ、宗教者や啓蒙家の書には、愛、慈悲、思いやり、優しさというような言葉が登場しますが、各々がそれらに何らかの定義付けをして話が進みます。
多くは、その中で言いたいことが同じであるにも関らず、場合によっては、片方ではその言葉を否定し、一方では至上に掲げます。
結局は、広い概念を持つ言葉ゆえに、その中で、どう定義するかによって、意味が反対さえなるということです。
あまり、その単語に思い込みの定義付けをして語ると誤解が生じる典型ではないか、と考えます。
反対に宜しくない感情なども、渇愛と言ったり執着、煩悩と言ったり様々。これも丁寧な意味の共有化が事前に必要なのでしょう。