仏教の因縁生起ですが、世間では因果を強調されるが故に、縁の大事さが忘れられがちですが、その要素の複雑さと人知を超えた存在としては縁ほどすごいものはありません。
縁が活きるかどうかは、アンテナをしっかり張っておくこと以上に必要なものはないように思います。
縁があれば、自然体で、そのように流れは進んでいきます。
自分の人生に極めて大きな影響を与えていると後に評価できることやものや人について、振り返れば、様々な縁がないとたどり着かなかったことがわかります。
こちらがアンテナが機能していないと、その縁は始まりません。相手側もしかり。片思いは結局、縁の不在なのです。しかし、無理をしないで自然体でいることで、その後も何らかの縁が続くとしたら、こちらが思ったり、願ったりした形とは違う形での、やはり縁があることと言えるでしょう。
繰り返しますが、縁は自力で何か出来るものや自分でストーリーを作れるものではなく、極めて不思議な偶然の巡り合わせとも言えることの積み重ね(これが縁)によって、なるべくしてなる結果で、その深まった関係に感謝できる人生で特別なこと、これを作り出してくれるものと言えるでしょう。
素晴らしいものです。