2014年11月9日日曜日

人生の究極の幸せ(至福の瞬間)

人生の究極の幸せ(至福の瞬間)、それは何か。
ふと、朝、確信しました。このことは、人生の中の最大級の発見かもしれません。

 幸せは自分の心の持ちようというのは、この投稿の最初にも書き、その後も繰り返し書いてきていますが、至福の瞬間と言える、このために人生があったという絶頂の精神状態はどんな状況なのか。それがわかったのです。

日々の幸せは上記の通り。

それを超える大きな揺るぎない幸せとして、 自分は芸術や映画とふれ合い、それに心から感銘を受けた瞬間がそうではないか、と思ってきていました。
でも、それはどんなに幸せでも「至福」ではなかったのです。

映画・音楽に感動し、涙する。これは自分だけの感性がその瞬間を呼び寄せていて、とても幸せなのですが、あくまでそれは 「自分→対象」 という一方通行の愛・敬愛です。

ひとことでいえば、究極はそれが 「自分⇔対象」 と双方向になる時。
それを偽りなく確信できる瞬間、なのです。

自分がその対象を熱望し、そして相手がこちらを熱望している瞬間です。
「共感」「共鳴」の時とも言えましょうか。

それは人間同士でしかあり得ません。1人では成立しないのです。

対象が芸術では、どんなにこちらが共感しても、向こうが自分に働きかけて共感してくることはありません。

認められる欲求、といってしまうと何か自己本位なニュアンスになりますが、そういうこちら側の欲求ではなく、ここでいうのは対等な同じ程度の相思相愛で、その度合いの強さが強いほど、至福度はアップするということです。

子育ての過程で何度も「このために自分は生まれてきた」という確信をしたのは、自分の無条件の愛情に加え、子供がこちらをやはり損得勘定なく手放しで熱望していることが分かる瞬間があるからです。

でも人間にも色々な距離感はあります。仲間・同僚もそう、親友もそう、子供もそう、あくまでその社会規範の関係の中での共感となり、相思相愛度は究極にはなりません。

やはり結論は男女間で相思相愛の状態に何の疑いも持つことなく、相手をともに信用し、それを瞬間的に実感できる時間を共有すること。
具体的には言うまでもありませんが、その瞬間、果して自分の人生で一度でもあったかどうか。
結婚しているとか、付き合っている相手がいる、という話をしているわけではないのです。
常に一方通行、どちらかのベクトルが強くて、同じ強さで引きつけ逢う瞬間を持ったことがあるか。
恐らく、感情が流浪する生物である人間には、こんなことは「瞬間」でしか経験できないこと(持続的なものではない)でしょう。

でも、それを実感できる瞬間を確信したことが人生で本当にあるのか。

考えてしまいました。

この千載一遇ともいえる瞬間を自覚的に感じることができる人は世界一の幸せ者と思うのです。