2015年2月20日金曜日

自由と孤独は隣り合わせ

言い得ています。
独身より既婚、既婚より子持ち。
束縛は増え、その自由度は減っていきます。
家庭を持つと、独身者は想像できない地域活動やPTAなども周りに対処すべき事項として増えます。
真面目に家庭人をやればやるほど、仕事とそれらでほとんどの時間が奪われ、現に独身時代に謳歌していた趣味などの時間が10分の1以下になります。

そして、業務の縛りも増え…と、全く自由がなくなるわけです。その代わり、そこに孤独はありません。独りきりの時間は喉から手がでるほど欲しいけれど、普通に自分の周りで自分を必要としている環境に感謝こそすれ、孤独・無用感はありません(忙しすぎて、人生のあり方を問うような場面は正直ありますが)。

そうしてできた家族とまともな人生を歩んでさえいれば(急な不幸はまた例外ですが)、基本的にまた家族は増えて、やはり孤独からはずっと離れていくわけです。

一方、自由を謳歌し続け、それらの渦に巻き込まれることを拒絶する人(既婚者でもそういう人間はいるでしょうが、未婚者は基本該当すると言えます)は、孤独が待ち受けています。若さや美貌などにかまけて孤独をしばらく気にしない人間も気づいた時には同じ時期に束縛の中でやることをやってきた人間とは、人生経験に雲泥の差ができてしまっています。物事によっては、一定の年齢を過ぎてからはもはや経験不能、中に入ったり信頼を得ることができなくなります。

何事も遅いものはないというのは嘘だと思います。
やるべき時期はあり、それは人間としていかに自然体で生きるか、そこにかかっている気がします。

自由と孤独は隣り合わせなのです。