仕事柄、全国津々浦々の方々と出会い、つながれることは嬉しいですが、次に実際お会いできるのはいつのことかわからない方もたくさん。再会した時には、こちらに記憶がなくて失礼千万な奴に…、ということを繰り返していました。
もとは災害対応という業務上やむにやまれず始めたFacebookですが、日常においてその方のお人柄に関する情報に触れられることで、その人となりが以前より多面的に捉えられるようになり、再会する際の印象が格段に違うようになりました。
仕事でつながった方が多いだけに、仕事以外の面や心境などを書かれた投稿を拝見すると、その人の魅力というか人の厚みのようなものが加わって、自分の中で(いささか思いこみがあるとしても)その方への好感度が上がっていくのを感じます。
私もFacebook登録から4年近く沈黙して読む専門でいたわけですが、今年の夏頃、思い立って(開き直って?)発信することに踏み切ってから、人との関係性がここまで変わるとは思ってもいませんでした。
あちこちで再会する度に、Facebookでの発信に絡んだ話題を投げかけていただくことが増えました。
お褒めいただいたり共感したと言って頂けることは純粋に嬉しいです。
「いいね」をたくさん頂いたりシェア頂けると、また次書いても良いかな、と思えます。
「いいね」をたくさん頂いたりシェア頂けると、また次書いても良いかな、と思えます。
きっとごちゃごちゃ書いている中に、色々感想をお持ちでも、部
分的にでも共感して下さって、「いいね」を押して頂いている思いやりを私は享受しているのでしょう。
「そうは思わないね」ボタンがもしあったら、凹んで発信出来なくなっているでしょうね(笑)。
分的にでも共感して下さって、「いいね」を押して頂いている思いやりを私は享受しているのでしょう。
「そうは思わないね」ボタンがもしあったら、凹んで発信出来なくなっているでしょうね(笑)。
冷静にみれば、もはや【長文失礼します】と前置きできないほど長文専門の変わり者だし、内容も一般的でないし、調子に乗って昔の写真を晒したりしていることが後で急にすごく恥ずかしくなったりしています。
こんなに頻繁に発信しておいてバカみたいですが、やっぱり多くの方の前に自分を晒す行為ですから、これでも結構勇気を出して書いています(笑)。
読んで書いて共感して、という作業を通じて、今までこれほど伝えること・伝わることについて真剣に考えたことがなかったことに気づきました。
また、自分を客観視する癖がつきました。
また、自分を客観視する癖がつきました。
人間関係は常に模索中ですが、一つ新しい関係性が生活に誕生したのは確かです。
いつも読んでくださっている皆さんに心からお礼を言いたいです。ありがとうございます。
『共感』をキーワードに、来年もどうかよろしくお願いいたします。