2015年6月4日木曜日

「智恵」をもった上で、謙虚に生きる

「智恵」または「知恵」を、知識を日常生活に落とし込んで実践すること、定義したいと思います。

知識について言えば、自分はこれまでも貪欲に得てきた方だと思います(多くは現在取り組んでいる仕事などには直接関係ない、自分の思考の文脈に登場したものというのが一般的な方々とやや違うかもしれませんが、知識欲に対して素直に探求してきたと思います)。
吸収・蓄積した知識は、「智恵」として日常生活に活かされて、初めてその人間のフィルターを通じて新たなものとして生まれ表現されることになります。
ただ、これは世間に役立つかどうかという視点で言っているわけではありません。言葉でも文章でも生活態度でも創作活動でも何でも良いのですが、表現されて初めて智恵となっていくわけです。
そして、多くの場合、智恵を持つ者が世間で認知され、様々な形で求められるようになります。人間の強烈な欲求である承認欲求、求められることを体験すると、これはとてつもない自信と自己肯定感につながります。

この上で、この話の一番大切な点ですが、また小林正観さんの表現をお借りすると、知識・知恵に加えて「謙虚さ(知性)」が大事ということになります。

知識が知恵(実践)となって日常に活かすことができ、自ずと周りから尊敬をされますが、そこで謙虚さを失った途端に、信頼は失墜し、積み重ねの価値は大きく失われてしまうといっても過言ではありません。

仕事上知識を持ち知恵として活躍していれば、世間にとって「役立つ」から、謙虚さを失っても引っ張りだこが続きますので、天狗になってしまった本人は気づけない場合が多いでしょう。

するとますます天狗になっていく。しかし、露骨な自信は見せまいと、器用にそれを表現しないようにして、穏やかに装う人も少なくなく、更にもてはやす輩に囲まれて、内心の天狗度は上がる一方。

だが少し無礼な対応などをされた途端に化けの皮が剥がれ落ちて、「この俺様に何様だ!」となります。何様はまさにあなた本人なのですが。

一つの分野に長く関らせて頂ける縁を得て、自分もそれなりに求められる場面が増えてきた今日、これらのことは深く心に留め置いて、我が振る舞いだけでなく、慢心に陥らない真の謙虚さを意識していきたいと思うのです。