2015年6月3日水曜日

「き・く・あ」を実践するということ

小林正観さんは、法則の名前をつけるのが好きで、「そ・わ・かの法則」とか、「過去よせての法則」など、色々ありますが、一番良いなあと思ったのが、「き・く・あ」の法則です。

『競わない、比べない、争わない』

という三原則は、ある意味、日本の教育方針に真っ向から背く考え方になります。その教育のもと大人になった人間ばかりが今の社会を動かしているので、いわゆる世間もすべて、「競う、比べる、争う」ことが美談として皆それを当然のように受け入れて日々過ごしています。

私は、この「き・く・あの法則」を大事にすることは、この言葉に出会う前から十分共感を持って捉えてきた方だと思いますが、では、実際、日常生活で実践できているかというと、かなり怪しいことになります。

果たして、自分に都合の良い時だけ、この法則を持ち出していないか。
この三原則を貫けない理由に、人との信頼関係を大事にしたいという大義名分を持ち出したり、 自分を無能と見られたくない、 やらない奴、出来ない奴というレッテルを貼られたくないが故に、これらの原則に相反する仕事の仕方になっているのではないかと思うのです。

ただ、競わない、争わない、というと、頑張らず無理をしないでマイペースで、と解釈されがちですが(小林正観さんも並べてそう表現されています)、微妙に違う気がします。
頑張るとか根性とかがやはり嫌な言葉であることには変わりませんが、やるべきときにやると判断して全力を尽くすことが、結果的に頑張って根性が外に見えてしまうことがあるのではないでしょうか。

ここで否定されるべきは(わかりやすいのは「比べない」だと思いますが)、相対で生きること、自分の判断基準が常に周りにあることが原因で「競う、比べる、争う」という生き方になるのだと思います。

判断基準を世間に持たない。他人からどう思われるか、を自分の生き方の物差しにしないこと。

となると、やはり普遍的な基準は「仏法」というところに求めるしかないといういつもの結論に戻るわけです…。

今の自分に欠けていて一番必要なのは、他人(ひと)にどう思われているかに振り回されず、信じる道(日々の行動の選択)を貫くこと、に尽きます。


『仏法を思惟する』
http://buddhasonbunji.blogspot.jp/?m=1