2015年6月2日火曜日

「刹那主義」で生きる

刹那主義というと、一般には、今さえ良ければ後は知らないという無責任な生き方であり、自分の快楽だけを追求する、決して良い使われ方をしません。

しかし、刹那という言葉自体は仏教用語で、人生にあるのは刹那だけであり、人生はその刹那の積み重ねで構成される、という考え方の根本です。
つまり、本来的には、今、その瞬間を大切にして歩んでいくことが「刹那主義」ということになります。

考えてみれば、我々は今目の前のこと、目の前の人以外、対峙出来るものはないことがわかります。色々先のことを想像したり、勝手に予測したりすることはできても、実際には目の前、刹那としか対峙しえないのです。

そうなると、一瞬、一瞬の刹那、目の前のことをどれだけ大事にできるかどうかが、極論すれば人生のすべてとさえ言えるのです。

「莫妄想」というあまりに有名な禅語がありますが、年を重ねることによって、刹那を大事にできなくなってあれこれと繰り返されるのが「妄想」であり、ほとんど年がら年中妄想の中にいる状態の大人も少なくないと思います。

刹那的な快楽を求めて違法行為とまで行かなくとも、ゲームにレジャーに、と時間の浪費に思えるような過ごし方をする人々も、その最中には「妄想」から解放されるという大きな効用があることを自覚するしないに関らず感じているからという一面があるのではないでしょうか。

妄想からの解放は、私の中では常に意識的な課題でありますが、この刹那を大事にすること、目の前の人、事象を大事にすること以外に、集中すべきものはないと、心得て日々を過ごす姿勢については、日常的には忘れてしまって意識化できていないことの一つです。

これからは、本来の意味での「刹那主義」を意識したいと思います。