2017年2月26日日曜日

愛語は肝に銘じ、魂に銘ずる

人を褒め、共感する言葉「愛語」は、巡って本人に届くことがあります。  
直接耳にするのはもちろん嬉しいし、面と向かわないで巡り巡って伝わってくる「愛語」も、心に深く響いて忘れられません。
哀しい哉、人は承認を求める生きもの。
他人の目を気にしてばかりでは情けないですが、とはいえ信頼している人、尊敬している人から頂ける愛語は、どんな贈り物よりも嬉しい。
最近、続けて愛語を頂く幸せに預かり、深くそう思いました。 

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【道元禅師「正法眼蔵」菩提薩埵四摂法より】
面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。
面(むか)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず。
愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
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「愛語」は肝に魂に刻まれます。
ひいては、世の中を動かす大きな力さえ持つ。
適確に言い得たこの教えは、800年前の智恵です。
先人の偉大さが染み入ります。

能登半島は輪島市秘境西保海岸の築280年の古民家で、波の音の中で憶いに耽る夜です。

2017年2月22日水曜日

西村幸吉の生涯が伝えること

戦争や平和の具体を突きつけられると、人生とは何なのか、生まれた時代が悪かったで終わりなのか、人間自らの「業」の結果は、天災さえも霞む程の悲劇をもたらすことを繰り返す他ないのか、考えさせられ苦しくなる。

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オーストラリアの副読本に採用されている、日本人の話があるという。
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昭和17年、ニューギニアの戦場で小隊40名中、その人西村幸吉一人を除いて戦死した。
九死に一生を得てラバウルに脱出した時、入隊時73キロの体重は28キロになっていた。
終戦の昭和20年の25歳、ニューギニアの仲間の骨をいつか拾いに行きたいという条件を伴侶に伝えて結婚した。
三男一女を授かり、機械製作所を立ち上げ順調に経営してきたが、59歳で仲間の遺骨収容のためにニューギニアに移住することを決意するも、家族と決裂、工場を含めた財産を妻に渡して離婚。
以来、西村は死ぬまで家族と会うことはなかった。
妻のことを尋ねられても「名前さえ思い出せない」。
それから85歳までの26年間、5億円の私財を投入して、ひたすら遺骨収容だけに全てを奉げ、300体の遺骨を収容した。
その西村の言葉。
「家族を失うことは大変なことだと言うかも知れませんが、ニューギニアで死んだ兵士たちが払った犠牲に比べれば大したことはありません。彼らに比べれば、こっちは極楽で暮らしているようなものです。あの兵士たちは地獄へ放り込まれて死んだんです。自分は運が良かった。本当に恵まれていました。戦争が終わってから、まともなものを食べ、行きたいところに行けるようになり、自由になった。自分の状況を彼らと比べたら、骨を掘って26年を暮らしたことなんて何でもない。ほんの些細なことですよ。死んだ彼らを思えば、これくらいして当然です」
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一時の感傷や多少の罪悪感などで出来る所業ではない。
他人からの評価や承認欲求が最大の関心事の世界とは、真逆と言ってもいい。
国内での三十余年、どんな思いでいたかは、想像を絶するものがある。

オーストラリア人のこの著書はベストセラーとなり、教材として、彼の地の高校生の多くは西村幸吉を知っているという。
私たち日本人は、知らない。

なぜ、この話が教材になるのか。

私たち現代日本人は、この話を家族を犠牲にした“誤った人生”という評価しかできないのではないか。

目の前の損得勘定で、岐路の判断をすることに疑念を持たないことが普通になってしまっている。
「生」を実感として考えて、一番大切なことは何かを間違わないことを、私たちは常に確認していかないと、大衆の総意という名の下に取り返しのつかない判断ミスを犯す危機を感じる今日日。

「一億総○○」など、危険この上ない思考停止の標語だと思う。
“福祉”は、とかく総論賛成の魔法の言葉として使われがちなのも怖いと思うことがある。「制度だから」「国が謳っているから」で本当に良いのか。
職場で空気の如く飛び交う言葉に、思う。

2017年2月17日金曜日

四苦八苦から今への因縁生起を考える

広い温泉旅館の迷路のような所をあちこちウロウロしていると、すれ違う集団の中から“2歳くらいの息子”が自分を見つけて、お父さん!と嬉しそうに抱きついてきて離れない。
その一点の曇りもない信頼感だけで身を委ねる息子のぬくもりと重さに、涙が止まらなくなって目が覚めた。
ごく稀に、眠っていて夢との境目がなくなる場面で、堰を切ったように涙が止まらなくなることがある。
中2・小5にもなると、子も親同様それぞれが自分のことで忙しい。
でも子ども達はふとした瞬間に、幼い頃のような接し方をしてくる時がある。
気づかずにさっと流してしまって、後で、あ、しまったと思ったりする。
自分がこの世に生まれてきたのはこの子たちと出会うためだったと確信していた10年前のあの頃を、今朝の夢は突然思い出させてくれた。
時折、夢は現実以上にリアリティをもつ。

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捨て身でヤケを起こして日々を過ごしているな、と思う時がある。
そんな時、失うものなんて所詮何もないとも思っている自分がいる。
それは、どこかに自己嫌悪と、求めるものを得られない(求不得苦)、どうにでもなれという気持ちに原因があることを自覚している。
仏教の四苦八苦は究極の真理で、生老病死に加えた4つは、苦しみの中身はすべてこの4つに尽きるではないか、と思う。
・愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
・怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
・求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
・五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

しかし、すべては繫がっていて、これまでの文脈や無数の縁があるからこそ、今の自分があることを忘れてしまってはいけない、ということを、今朝の夢が思い出させてくれた。
涙は、愚かさやこだわりを洗い流す効用があるのかもしれない。

2017年2月14日火曜日

背中を見せる生き方をする他ない

勢い余って表現の度が過ぎて、自覚無く傷つけてしまい愕然とすることを、経験しました。
その時は、何とか誠意を尽くして理由を説明したい、好ましくない表現をした自分の行為を謝って和解したい、とその問題解決方法を模索してもどうにもならなかった。

かわって、災害支援の現場にて。
凄いスピードで一種興奮状態でのやりとりが続く中、ある人はこう言っていた、批判していた、というような伝達が本人不在の中で飛び交う。
伝えるインパクトを強めるために修飾語がついて話は膨らんだ挙げ句、別ルートから自分の言動として尾ひれがついたそれを聞かされ、「そんなこと言ったこともないし、ニュアンスがむしろ反対になっている…」とショックを受けたことも一度ならず。
急に自分への態度が余所余所しくなっておかしいなと感じて、探って初めてわかったりする場合のやるせなさ。
無数の人々と短期間で覚えきれない量の会話を交わして疾走し続けると、必ずといっていいほど発生する行き違い、誤解です。

また、不正なこと、卑劣なものを目の前にして、黙っていられない。そこでの振る舞いが過ぎたことで悪者がこちら側になってしまう。

自分が話題の渦中に置かれてしまえば、誤解を正すことはほぼ不可能です。

じゃあ、大人しく他人に陰口叩かれないよう自己保身に生きる道を選ぶのか?
それは自分が許さない。

これまでも、話し方や伝え方を悩んできましたが、解決策はそうありません。
今も、我が至らぬ振る舞いが本位でない受け止めをされて「誤解」や「歪曲」に苦しむことに陥る。
そういうことが起こるのが、悲しい哉現実。

そんな中で、ある文章に救われました。
これは、目から鱗の回答でした。
そう割り切った答えがあるとは思いもよりませんでした。
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『たとえだれかを傷つけてしまったとしても、自分のせいだとか、あまり考える必要はないと思います。それを思い悩む必要はありませんし、自分がつらく悲しい気持ちになる必要もありません。誤解されていることに関して、一生懸命相手に事情を説明して、わかってもらいたいと思うのはやめましょう』
『ただひたすら後ろ姿を見せて、「あー私は、あの人を誤解していたかもしれない」とその人に思わせるような生き方を、これからしていけばいいと思います』
『死ぬ前に誤解が解けなくても、それでよし。誰かに誤解されても、それをどうしても「解きたい、解きたい」と思う必要はありません。誤解されたとしてもいつかはわかってくれる、と思いながら生きていけばいいのではないでしょうか。』
〔小林正観著『すべてを味方 すべてが味方』(三笠書房)〕
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今の私は、この言葉を拠り所にしています。

2017年2月5日日曜日

ホリスティック医学と漢方医学

塾も知らない息子に、受験のような環境も一度は経験かと思って受けてみた英検4級の結果が、何と1000点満点だったので、報告を兼ねて、市内にいながらなかなか訪問できない実家に連れて行きました。
孫の姿に喜ぶ祖父母の姿に喜ぶ父親の私。
とりとめも無く話す中で、風邪には葛根湯というが体質に合わないので他に良い漢方はないか、と父に質問すると、参蘇飲(じんそいん)を勧められました。

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父は大手製薬会社を勤め上げたのですが、いわゆる新薬を取り扱う会社に身を置きながら独自に漢方薬を研究していて、漢方薬局とも懇意になり、いつの間にか新薬に限界を感じている医者に漢方薬を指南して、場合によっては医者自身の持病の解決も含めて手伝ってきました。

父自身が、幼い頃から偏頭痛に悩まされ、そのことから薬剤師の道に進んだわけですが、たどりついたのは一つの症状や患部を滅しようとする新薬(多くは副作用を伴う)ではなく、薬草という自然に存在するものを用いて体質改善のところからアプローチをする、それこそ二千年の歴史を持つ漢方薬だったわけです(現在の漢方のバイブルも二千年前の「傷寒論」なのですから先人の偉大さを物語っています)。

漢方薬を含む東洋医学は、人間に本来備わっている 身体の自然治癒力を活性化させるという視点の医学で、「ホリスティック医学」に先駆けた考え方。
「ホリスティック医学」は、人間をまるごと全体的にみる医学でもあり、心と身体の調和や自然治癒力を促し、人間の身体を環境を含めた全体として捉え、生老病死丸ごとを対象とします。
それは何か、仏教や「エンパワーメントする支援」に通じるような考え方で、医学に素人の自分にもしっくりきて共感ができる思想です。

そんな父の元に生まれたものですから、漢方薬は必ずしも病気の時だけで無く、体質改善的にも服用してきて、その味や臭いにも全く抵抗がない環境で育ちました。
あらためて、父の書斎の漢方関係の書籍や、漢方薬局から取り寄せた大量の漢方を目にして、この知識と智恵を少しでも父が元気なうちに学びとれたらと思ったこともありましたが、無数にある漢方の種類と、実際の処方を試みて効果があるか、体質に合うかどうか、それも即時に分かるものでもないことから、余程根気強くないと究められない世界ということで、結局、生き字引の父任せで今日に至っています。