2017年2月17日金曜日

四苦八苦から今への因縁生起を考える

広い温泉旅館の迷路のような所をあちこちウロウロしていると、すれ違う集団の中から“2歳くらいの息子”が自分を見つけて、お父さん!と嬉しそうに抱きついてきて離れない。
その一点の曇りもない信頼感だけで身を委ねる息子のぬくもりと重さに、涙が止まらなくなって目が覚めた。
ごく稀に、眠っていて夢との境目がなくなる場面で、堰を切ったように涙が止まらなくなることがある。
中2・小5にもなると、子も親同様それぞれが自分のことで忙しい。
でも子ども達はふとした瞬間に、幼い頃のような接し方をしてくる時がある。
気づかずにさっと流してしまって、後で、あ、しまったと思ったりする。
自分がこの世に生まれてきたのはこの子たちと出会うためだったと確信していた10年前のあの頃を、今朝の夢は突然思い出させてくれた。
時折、夢は現実以上にリアリティをもつ。

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捨て身でヤケを起こして日々を過ごしているな、と思う時がある。
そんな時、失うものなんて所詮何もないとも思っている自分がいる。
それは、どこかに自己嫌悪と、求めるものを得られない(求不得苦)、どうにでもなれという気持ちに原因があることを自覚している。
仏教の四苦八苦は究極の真理で、生老病死に加えた4つは、苦しみの中身はすべてこの4つに尽きるではないか、と思う。
・愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
・怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
・求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
・五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

しかし、すべては繫がっていて、これまでの文脈や無数の縁があるからこそ、今の自分があることを忘れてしまってはいけない、ということを、今朝の夢が思い出させてくれた。
涙は、愚かさやこだわりを洗い流す効用があるのかもしれない。