2015年1月22日木曜日

聞くことの大事さ

子育て、部下育ては、言って聞かせる話モードより、聞き手モードの方が効果的とのこと。
プロカウンセラー(東山紘久氏)の本からの学びです。

優しくて親の教えを守る子どもに育てるコツ(我が家の二人はまさに当てはまります。自分でもどうしてここまで精神的に安定した二人なのかが不思議でした)は、「小さい時に子ども中心に遊んでやること」と聞いて衝撃でした。
私がしてきたのは、まさにこれだけでしたから。

また、家族や子どもが心の病にかかることを予防する最良の方法は、「遊んでやることと話を聞いてやること」とのこと。
お父さん、何か面白い話して!という要望に応えられなくて自己嫌悪に陥っていたところですが、話を聞いて遊んであげて12年。これは確実に実を結んだということでしょうか。

プライベート空白の12年とも思って、ここにきて落ち込んでいたのが、一番大事な仕事をやり遂げたのかもしれないと、思えた瞬間です。

2015年1月18日日曜日

この世に「当たり前」なことは何もない

「当たり前」
これは昔から自分のポリシーの一つとも言える考え方で、嫌いな言葉の筆頭にくるものです。

この考え方は、この世の現象や人の行動を、決めつけている(こうなる、こうする)ことに端を発する言葉です。
この世はすべて不確かであり、無常という揺るがない真理があることが腑に落ちていたら、自分にとって素晴らしいとまで言わなくとも、期待した通りのプロセスや結果が現出したら、感謝や感激こそする対象となるはず。
目の前の結果が、「当たり前」のものは何一つないはずなのです。

当たり前の発想を習慣化している人ほど、他人のすることなすことが気に食わず批判的になり、自分に対しても、当然評価を厳しくして、満足感のない、不満や自己嫌悪に満ちた日々を送ることになります。
そんな人々は、必ず多数を絶対視し、協調性の大事さを説いてまわったりします。
それは他人にすれば、思い込みの価値観の押し付け以外ありません。

前回のアドラー心理学でいうところの「課題の分離」の観点からも、他人の評価、他人の言動への口出しは、まさに分離できていない証拠です。
自己嫌悪の傾向の強い人は、この上でさらに「みんな〜」「いつも〜」という、分析不足の一般化を好んで、事態を悲観的、懐疑的に悪く捉える傾向もあるわけです。

2015年1月15日木曜日

共同体感覚(アドラー心理学)と山川草木悉皆成仏

アドラー心理学の神髄は、共同体感覚に尽きるという。この詳しい説明を読んで思ったのは、仏法の山川草木悉皆成仏(山川草木悉有仏性)と同じということです。

自分という存在が最終的に目指すのが仏と捉えたとき、万物(他人という狭い範囲だけでなく)こそが仏性であるという考え方です。これが哲学の根本にあれば、万物が敵ではなくなります。
アドラー心理学の言うことは革命的でも何でもなく、仏法そのものであることがわかります。

こんなものは宗教で、科学的ではないという批判があるようですが、それであれば、科学なんて大したものではありません。結局、宗教は心理学を突き詰めたものなのであって、人間は数千年前にそんな領域に達していた証拠だと思います。

そして、その後に自己への関心を他者に換える、となります。利他の心そのもので、これが人間関係の極意であり、幸福を追求したときの行き着く先としています。
まさに、仏法そのものです。

2015年1月14日水曜日

対人関係の鉄則(アドラー心理学から)

自らの人生について、自分ができることは、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」。その選択について他者がどう評価を下すかは、他者の課題であって、自分ではどうにもできないことと心得る。

他者を信じるという行為は自分の課題として考えて実行すべきだが、他者がこちらの信頼や期待にどう動くかは、他者の課題。例え他者が期待と異なる対応をしたからといっても、自分は信頼し続けられるか。自分にとっての課題はその点のみと心得ること。

これが対人関係の極意ということです。