2015年1月18日日曜日

この世に「当たり前」なことは何もない

「当たり前」
これは昔から自分のポリシーの一つとも言える考え方で、嫌いな言葉の筆頭にくるものです。

この考え方は、この世の現象や人の行動を、決めつけている(こうなる、こうする)ことに端を発する言葉です。
この世はすべて不確かであり、無常という揺るがない真理があることが腑に落ちていたら、自分にとって素晴らしいとまで言わなくとも、期待した通りのプロセスや結果が現出したら、感謝や感激こそする対象となるはず。
目の前の結果が、「当たり前」のものは何一つないはずなのです。

当たり前の発想を習慣化している人ほど、他人のすることなすことが気に食わず批判的になり、自分に対しても、当然評価を厳しくして、満足感のない、不満や自己嫌悪に満ちた日々を送ることになります。
そんな人々は、必ず多数を絶対視し、協調性の大事さを説いてまわったりします。
それは他人にすれば、思い込みの価値観の押し付け以外ありません。

前回のアドラー心理学でいうところの「課題の分離」の観点からも、他人の評価、他人の言動への口出しは、まさに分離できていない証拠です。
自己嫌悪の傾向の強い人は、この上でさらに「みんな〜」「いつも〜」という、分析不足の一般化を好んで、事態を悲観的、懐疑的に悪く捉える傾向もあるわけです。