2017年5月13日土曜日

世間常識の呪縛から解放されて踏み出すということ

大なり小なり、私たちは問題を抱えて日々を過ごしている。
こんな他人や社会の課題解決を考える業種にいながらも、自分もたくさん課題を抱えている。
抱えていないという人がいたら、問題を問題として捉えていないだけとも言える。
生きることと課題を抱えることは同義でもあると思う。

で、仕事のように割り切れるものではない、人生そのものの課題は、大抵どうやったら解決できるのか、解決の可能性があるのか、いや、果して解決をすべきものなのかも含めて、存在する。
あまりに根本的すぎる場合、手のつけようがないと私たちは思い込んでいる。
しかし、それを放置することは、年を取るにつれてごまかしがきかなくなって、どんどん重くのしかかってきて、精神的にも追い詰められてくることになる。

解決できない踏み切れない理由の多くは、社会の慣習であり、世間体であり、現在の既得権を保持したいということであることがわかってくる。

しかし、先に述べたように、本当に追い詰められてくると、それに押しつぶされるのを待つのか、上記のような「理由」よりも、自分を優先させるのかの判断に迫られることになる。

本当に自分を大切にすること、今生の生を悔い無きようにするには、自らストップをかけている呪縛を解き放って、踏み出すことしかないと思う。

それは人生の一つの岐路であるけれど、そこでやらない判断しない踏み出さないことは、きっと最後には後悔しか残らない。
だから、優先順位を変える決断をする。

転職とかもこういうものに当てはまるけれど、時としてそれ以上に重要な人生判断は、ある。
人から何と言われようと、人生を本当に大切にするならば、何をすべきか。

いま、それを実感している。

2017年5月4日木曜日

6年越しの再会と反省

先日、FBで災害VCサイトリニューアルと公開投稿したものに反応くださった方の名前に見覚えがあったので、もしや…とメッセージと友達申請したい旨を送ったら、お返事がきた。
その返事に、素直な気持ちで笑みが漏れてしまった。
***
彼は、2011年3月11日に、私の部署に着任した。
担当して開発した「社協の杜」というポータルサイトの日々の運用をメイン業務のIT専門の男性の派遣職員だった。
その日、午前中、彼に会社と業務の概要をお伝えし、そして、14時46分を迎えた。
それからの正確な記憶がないが、都内の交通網はダウンして、多くの職員は夕方には腹をくくって社で夜を越した。
派遣1日目の彼も同じ目に遭い、見知らぬ会社に泊まることになった。
翌土曜日、朝から対応に追われながらも一人また一人と帰宅していったが、京葉線の再開が最も遅かったこともあって、自分は最後に社を退出し、帰宅は夜だった。
そして浦安の惨状を目の当たりにし、夜中市内を自転車で徘徊した。
翌日曜、朝から事務所で対応に追われる中、始業時間に何と彼が現れたのである。
正職員でも出勤しているのは一部だというのに、自己判断で出勤された。
「電話を受けるだけでも助かるので、一日付き合ってもらえますか?」
猫の手も借りたい状態が大きく救われた。
寡黙でとても生真面目、PC担当でありながら、あの混沌とした中、自発的に電話を受けるためだけに来てくれた彼。
こちらも余裕がないので、その後も彼には本来の業務をきちんと伝えることもできないまま、この災害対応の部署でフォローをし続けてくれていた。
自分などは、早々に次の月曜日にダウンして出勤ができなくなってしまった。
徹夜状態は3日ともたないという自分の弱さを、彼は支えてくれた。
にも関わらず、当時は全くその有り難みに気づくことが出来なかった。
そのことは、2か月ほどした時だろうか、「辞めさせて欲しい」という彼の打診を受け、初めてあまりに彼をぞんざいにしていた自分に気づかされた。
二人で話し合いの時間をもって、「頼むから辞めないで欲しい。これまでどれだけ助けられたか。自分の態度も本当に反省している」と懇願した。
彼は踏みとどまってくれ、自分が異動した後もその役割を担ってくれた。
そして我が社から去って、5年の月日が流れての今、期せずしてやりとりができた。
彼は、うちで働いた少しの間の経験に触発されて、社会福祉士の資格もとったり、福祉の勉強をされているという。
リニューアル前のあのサイトも彼と一緒のスタートだったから、サイトのリニューアルは彼にとっても感慨深くて反応をしてくれたそう。
新しいサイトを褒めてくれた。
嬉しかった。
Facebookの使い方やコミュニケーションに自信がないので、自分からシェアをさせてもらうだけで勘弁して欲しいという。
彼の厳しい自己評価は彼の誠実さそのものであり、異常な空気に満ちた未知の派遣先に、あの日曜日に自発的に出勤をして支えてくれたという一点においても、彼は素晴らしかった。
当時の自分は余裕ない中、そんな彼をたくさん傷つけたのだろうなあ、という思いが甦ってきた。
でも、こうして思わぬ再会が果たせた。
私にとって、Facebookは、過去現在未来を繋いで、様々な思いを甦らせ、自分を見直す機会や、時には人生の転機となる出逢いも作ってくれる、不可思議な予測不能の場になっている。