これも、小林正観さんの名言と思います。
以前、流れに身を任せる、という投稿をしました。
http://son-bunji.blogspot.jp/2014/11/blog-post.html?m=1
その続編とも言えますが、
「努力したから報われない 」という世間常識の逆説が真理ではないかと思います。
努力をするのは現状に満足できないから。現状が気に食わないことを公言するのと一緒、と考えます。
これについては八割方の人間から反論が来そうな感じもします。
が、私は賛同します。
思い通りにするため、つまり目標があって、こうしてやるという思いがあって「努力」するわけです。
好きで夢中になっていることに「努力」という言葉は使いません。
途中経過、プロセスを楽しむ、プロセスにこそ意義を持つ場合、やはり努力とは言いません。
あくまでも、結果のため、今の状況から結果を変えるために、歯を食いしばって取り組んでいる状況を「努力」と言います。
そう考えれば、「努力」という行為に何の尊さも私は感じません。
言ってみれば、努力至上主義は自力思想であり、流れに任せつつ、結果を気にせず目の前のことに念を入れて取り組むのが他力思想だと思います。
まだ見ぬ結果ありきの考え方、生き方は、どこか違うのではないか、というのが、何度となく述べてきたことです。
努力は「神への宣戦布告」と正観さんは言いますが、そのとおり、運を味方にできない考え方と思います。だから報われない。
思いを持たず、流れに身を任せ、夢中になれることは十分楽しむ。
「努力しても」でも「努力すると」でもなく、「努力したから報われない」のです。
やはり「他力」がキーワードになってくる気がします。