2015年6月24日水曜日

誤解は解かない

私は、勢い余って表現の度が過ぎて、知らないうちに、自分が他人を傷つけていることがあるようだ、と知って愕然とし、同時に強烈に自己嫌悪に陥りました。
情けないことに、それに気づいたのはつい40代になってからのこと。

自分の全く本意ではない受け止め方をされて、いわば「誤解」されている状態を、何とか誠意を尽くして説明したい、悪い表現をした自分の行為を謝って和解したい、とその問題解決方法を模索してきましたが、家族のような距離感ならともかく、一定離れた関係の人に唐突に、言い訳とも受け止められかねない行動をする事も得策ではないと思うと、どうしてよいかわかりませんでした。

そこで出会えたのが、以下の小林正観さんの文章でした。

『人に誤解されたら、「あー私は、あの人を誤解していたかもしれない」とその人に思わせる生き方をすればいい』
というもの。

誤解された時の対処方法は次のように書かれていました。

『たとえだれかを傷つけてしまったとしても、自分のせいだとか、あまり考える必要はないと思います。それを思い悩む必要はありませんし、自分がつらく悲しい気持ちになる必要もありません。誤解されていることに関して、一生懸命相手に事情を説明して、わかってもらいたいと思うのはやめましょう』

これは、目から鱗の回答でした。そう割り切った答えがくるとは思いもよりませんでした。

結論はこうです。

『ただひたすら後ろ姿を見せて、「あー私は、あの人を誤解していたかもしれない」とその人に思わせるような生き方を、これからしていけばいいと思います』
『死ぬ前に誤解が解けなくても、それでよし。誰かに誤解されても、それをどうしても「解きたい、解きたい」と思う必要はありません。誤解されたとしてもいつかはわかってくれる、と思いながら生きていけばいいのではないでしょうか。』

ここに決定的な回答があるとまでは言えませんが、少なくとも、今どうしてよいかわからない心の持って行き先を示してくれたという点において、とても気持ちを楽にしてくれた方法でした。


小林正観著『すべてを味方 すべてが味方』(三笠書房)