2015年10月14日水曜日

「こだわり」に良いことはない

意見を言わない、常に周りに合わせて判断は多数に委ねる。日本人の大人と言われる年齢の人の多くがこういう姿勢で日々を過ごしており、そのことを「大人の対応」という人も少なくありません。

これは一見、協調性があるように見えますが、自身が否定されることを恐れての自己保身的態度であることが多いのではないかと思います。

しかし、よほど性格が歪んでいない限り、意見を言った人の人格否定に及ぶ反論をしてくる人はいないのが実際。

もし、異なる意見で返されたとしても、それは別のアイデアを提示されたに過ぎません。
それを、一度反対意見をもらっただけで、彼奴は敵で自分を嫌っているとか、言わなければ良かったと後悔するというのは、余りにも短絡的です。
そして、その背景にあるのが、自我であり自身へのこだわりだと思うのです。

こだわりを持つことは美しいことでも格好いいことでも何でもありません。
「こだわりのスープ」とか、肯定的なこの言葉の使い方も好きではありません。こだわった時点で進化を拒絶していることを宣言しているようなものですから。

考え方・方法に柔軟であり、そして自身の意見・考えは常に自身で生み出して持っておくこと。

これがしっかり足を地につけた「大人」として、大事な生きる姿勢だと思います。