2015年11月7日土曜日

不寛容な社会を作る一般的「真面目な日本人」

本能的にも精神的にも人は幸福たることを目指して生きています。
では、幸福とは?
幸福度を示す調査には主観系と客観系があります。
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◆客観系(2015年国連調査) 
日本は46位
2015年の国連調査の幸福度指数。経済学者らが国民1人あたりの実質GDP(国内総生産)、健康寿命、社会的支援、人生選択の自由度、汚職レベルの低さ、寛容度を変数として幸福度を割り出したもので、調査対象となった158か国中、1位はスイス、2位はアイスランド、3位はデンマークと相変わらずヨーロッパがトップを占めており、日本は46位で昨年の43位から順位を下げた。
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◆主観系
▽レスター大学調査(178国):日本88-91位
▽ワールド・バリュー・サーベイ(97国):日本43位
▽ワールド・データベース・オブ・ハピネス(146国):日本49-50位
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戦争に巻き込まれることもなく、これだけ物が溢れる社会に生きて、その境遇に感謝こそすれ、幸福度が高くておかしくないはずなのに、なぜ、この国に生きる人が幸福を感じていないのでしょう。
しかし、根本的に「幸福」とは、なるものでもつかむものでもなく、感じるものだということがあります。
調査結果などを並べましたが、結局はその人の主観がすべてだと思います。
経済指標など、正直幸福感とは全く関係ないと言っても過言ではありません。自分が20代に世界30カ国を旅して確実にわかったのは、そのことです。
この真理は生きる上で極めて重要と思います。
主観的幸福度は、「個人に対する社会の寛容度」が大きく影響しているという説もあり、それにはとても共感します。
不寛容な現代日本社会がこの低い主観的幸福度に現れているわけですから。
ただ「不寛容な現代日本社会」と、社会に責任を押しつけて終わってはいけません。
なぜなら社会とは人で構成され、不寛容な社会を作っているのは個々の日本人だからです。
自分は真面目に仕事をしている、コンプライアンスを遵守し正しいことをしている、業者には完璧を求める、規則に外れるものには厳罰を…。
そうやって社会が求める風潮に素直に対応してきている人たちが、社会を更に不寛容にしている最大の功労者ではないかと思うのです。
社会を牽引する位置で、仕組みや法やトレンドに疑問を持たずに仕事に走り続ける人がいればいるほど、不寛容さ・閉塞感に拍車がかかるだけ。
いつも以上にクドクド書いてきましたが、自分が言いたいのはこの最後の点に尽きます。