2015年5月1日金曜日

一体となった状態

幸せとは何か、という人生最初で最後で最大の命題についてですが、ある事に対して余念の入る余地なく、そのもの(事)と一体になっている状態が、最も平穏で幸せな瞬間なのではないか、とふと思いました。
人が良し悪しを別にしてトランス状態を求める背景にはこの事実があるからでしょう。

なるほど、例えば音楽に心底共鳴している最中の自分は、その中で一体になっています。そこに雑念はありません。
スポーツもやり方次第では、そのようになる事もあるでしょう。
静かにそれを追求するのに、座禅や瞑想があります。

より複雑化したものには雑念は入りやすいですが、シンプルな世界にこそ一体感というものがあるように思います。

子育ての過程で、夢中に幸せを身体いっぱいに体現して遊ぶ我が子を見守っている時もこれに近い感覚がありました。
子育ては他に代え難い人生の喜びと感じた理由もここにあったのだと、こう整理して改めて気づきました。

共感しあうこと、共鳴することも、他人との一体感を感じることから、幸福感につながっているわけですが、こちらはどこか、そう思いたいという願望に自分を寄せている要素が強くて(恋愛の初期のような)、結局、人と人の共感は部分的だし、あまりにシンプルとは程遠い世界故に、その一体感は刹那的で、幻想的な部分を含んでいるように思います。