2016年1月19日火曜日

「謙虚」に生きるために

一つの分野に継続して関わる縁を得て、自分もそれなりに求められる場面が増えてきた今日、自戒を込めて思ったこと。
一朝一夕では得られない「知識」や「経験」、これがある程度蓄積されると人間の厚み(注:深さではない)が出てきます。
それを次には「智恵」として目の前の日常に落とし込んで実践することができれば「一人前」。
でも、その先から2つに大きく方向が分かれるように感じます。
一つは『自分』(及び自分の思想・信念)を前面に売り込んでいく行き方、もうひとつは『謙虚』な行き方。
「知識」「経験」を「智恵」に昇華して表現できるようになると、多くの場合世間で認知され、求められるようになります。
人間の強烈な欲求である承認欲求、求められることを体験すると、これは確固たる自己肯定感につながります。
世間にとって「役立つ」限り無視はされませんし、立ち位置が確立して、何より「忙しく」なって時間も充実したかのようになります。
我が考え方・思想に自信がつきます。上昇気流に乗った気になります。
そこから人の真価は問われるのかな、というのが私見です。
自信は、天狗になるという落とし穴に一直線でつながっていきます。
大抵、表面上は自己卑下したり謙遜したりしますが、もてはやす輩に囲まれて、実は内心の天狗度は上がる一方…。
節々に表出する「上から目線」と「選民意識」…。
真に『謙虚』な人は、
①人の話しに耳を傾けられる
 対人術として聞くフリが上手でも、本当に受け止めていたかどうかは後の言動でわかってしまいます。
②他人に配慮・心遣いができる
 ゙親しくない人゛を含めた他人であることが重要です。
という点において、決定的な違いがあるように思います。
自分との関係性の濃さや相手の社会的ステイタスに左右されず、相手が誰であれ根本的な向き合い方がぶれない人とでも言いましょうか。
私は『謙虚』のベクトルで年を重ねている人に敬慕の念を持ちます。人間の「深さ」を感じます。純粋に素晴らしいなあと。そして、そうなりたいと。
今回の出張でそんな局長さんにお会いできたことは嬉しいことでした。
一方、処世術に優れ、いくら有能で行動力や発言力で社会的に重宝されている人でも、結局は「自分様」、自己陶酔系の方は、まあ、遠くからご活躍を拝見しますっていう感じです。お近づきは遠慮したいと殊更思うようになっています。
これらのことを心に留め置いて、我が振る舞いを自覚し、人様に耳を傾けて、忠告やダメだしをされたら素直に受け止め、慢心に陥らないことを意識する。
そう心掛けたいと思いました。