2016年10月2日日曜日

自分の顔に責任を・・・怒りのコントロール

怒りの沸点が低いのが最大の欠点なのに、治らない自分。

カチーンと、許せないスイッチが入ってしまう時に自動的に発動されてしまう。

ただ、そのポイントが世間一般とズレていることが、最近わかってきた。
人が怒ったり嫌うものにはあまりそれを感じない一方で、何でそのことで私がそこまで怒るのかよくわからん、そういうことらしい。

常識的行動がとれない人、能力が及ばない人、失礼な人、怠惰な人、鈍感な人、スローな人…、様々人を怒らせるパターンはあるが、それら自体が“許せん”となることはほとんどない。そう見えるけれど、何かそこにはきっと文脈があって、見えているのは一面かも、と思いとどまるから。

では何に引っかかるのか。

自己陶酔系、自信過剰系、他人を眼中に入れない自分本位のいわゆる“自分様”の上から目線。
それが上記の現象の裏に存在することを感じた途端、スイッチが入ってしまう。
「何様だ?」と。

そういう厚顔無恥な人間は放っておけばよい、恥ずかしい思いをするのは自分だから、と達観したアドバイスなどされるが、それが出来るなら今の自分の悩みはない。

思い出しても腹が立つようなことが連続して、胸のつかえが最近ひどい。それが顔に出ている。

今日の授業参観で「あなたの旦那、険しい表情しているけれどどうしたの」とママ友に囁かれたと妻。

あれこれ考えていたんだろうと思うが、休日にそんな表情しているなんて、かなり問題。

「男は40歳を 過ぎたら、自分の顔に責任を持て」とリンカーンが言ったとか言わないとか。
その顔が今の自分の中身なんだよな。これはマズいぞ。