2016年10月9日日曜日

教育方法=価値観の違いを痛感する

全国学力テストの県別の成績は、小中学校各教科とも毎年のように、秋田県と北陸の富山・石川・福井県が他県に優れていることがはっきりしている。
http://mainichi.jp/scholartest2016/
ここまで明確な差が出ることの意味は、教育は手法次第で結果が出るということ。
先日、秋田の教育の特集がTVで放映されていた。
学校から帰って、子供たちは学年を超えて集まれる児童館がある。開放的で沢山書籍があり、広々と宿題などを拡げて、お互いが教え合う風景。小学校一年生から「勉強、楽しい!」といえる空間。
学校の先生もわからないことを尋ねれば親身になって教えてくれる。
フィンランドの教育方針にも憧れたが、国内にも光はあった。
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娘が秋田県大潟村から感激して帰って2か月。
文通やプロフィールの交換などをはさんで、昨日・今日は、心待ちにしていた大潟村の子供たちと浦安市内で交流し、さらに仲良くなった。
彼らとの交流が忘れられないものになった理由は、本当に良い子たちだったから。
友達おもい、やさしさ、まっすぐで、心から笑う笑顔がたえない。
これが何を示しているのか。
同じ方向を見て、励まし合ったり教え合ったり、そんな相乗効果が存在する環境が子供たちの学力を支えているのではないか。成長期に精神的に健全な環境の大切さ。
ここの小学校においては、わからないことがあるとすかさず「そんなのもわかんねーのかよ、バカじゃねーの」という罵声をを浴びせあう級友たちから身を守るのが精一杯だという。
できたらできたで「調子に乗ってんじゃねーよ」。
相手を蔑み、見下し、放課後も塾通いで交流がないクラスメイト。クラスにあるのは「嘲笑」という種類の笑いばかり。それが日常となっているここの小学校は、友情を育むとかいう以前の話である。
浦安の親の収入とエリート意識とプライドは、おそらく突出して高い。だから塾に行きまくる。
といって、その子供たちがさして成績優秀なわけでもない。
でも塾で先に授業内容を知っているから、教師の話は聞かないで騒ぎ、授業は成立しない。
今年、広島から越してきた父兄から、先日囁かれた。
「この学校、学級崩壊していますよね?」
授業参観日は親の前では普段と全く違う態度でしおらしく、したたかに使い分ける子供たち。その子どもの裏表に気づけない親たち。無力な教師たち。
学力の差から話をしたが、詰るところ、学力の上下なんてどうでもいい。
それに連動して人間力がものすごく低いという危機感に尽きる。
娘の交換して集めているプロフィールを見させてもらって愕然とした。
価値観の置き所が浦安と大潟村の子供たちで正反対だった。
見た目(ルックス)や勝ち負けが一番の関心事に対して、一方は優しさや友情が大事だという。
「底辺」にいる娘からみえた秋田の子供たちとの交流は、どれだけ美しいものに映るのか。
大潟村から帰った娘がすかさず秋田に引っ越したいといったのは、一時的な感傷からではなかったことはわかっていた。それが一過性の思いつきだったらどれだけ良かったか。
心から楽しそうにこの二日間を語る娘の姿を見て、良かったね! 友達がたくさん増えたね!と精一杯共感しながらも、日常の現実に頭を抱えるしかない自分がいる。