2014年10月24日金曜日

出入りのバランス

この世のすべては出入りの量のバランスが揃って、はじめて健全になる摂理のようです。
そして、実は出す方がより重要なのかもしれません。
呼吸をみても、吐く息を大事にすることで心身が充実すると言われます。
お金も貯めずに出すことを心がけると自然に入ってくると言います(勿論無駄使いや自分のためだけの使用ではないという条件付きですが)。
そして、自分に置き換えると、ある年齢以降、またある分野をみてみると、何と入れることばかりに集中して、出す作業を怠ってきたかがわかります。
映画を見ました。それをどれだけ何かに還元したか。ただ、キャパシティオーバーの吸収作業ばかりしてきたことに気づかされます。
本、それも仏教本で学びました。それをまとめていた時期は良かったですが、ある時期以降、明らかに吸収できなくなっている自分がいました。
これら、出す作業不足は、別の言葉で言えば、実践が伴っていないということです。
映画であれば、それを自分の何らかの表現に意識的に出さなければ今の自分のように消化不良を起こします。
仏教の教えは濫読したなら、その中のどの教えを生活の中の実践に落としていくかがないと、仏法に従った菩薩としての生き方のスタートにも立てていないことになります。実際、今、そこから脱出できない自分がいます。

今、ある意味人生の中で最大とも言える試練の中にいます。笑いがこみ上げてしまうほど、わかりやすすぎるくらいはっきりした試練です。
まさに、今、これまでの自分の吸収してきた素晴らしき教えを実践できるか、その場所を用意してもらった状態なのです。語弊はありますが、これは大変に貴重で有り難く、ワクワクするともいえるようなすごい状況と捉えたいです。学ぶ前の自分ならば、確実につぶれて、ヤケを起こし、他人を傷つけたでしょう。 それを、今、どう立ち回るか、問われています。でも、この内容は自分一人の中から出ることはありません。つまり、誰のためでもなく、自分一人が評価者でもあります。
この状況を客観視すると、これまで学んだ仏法そして魂の仕組みが全部つながって腑に落ちるではないですか。
人生最大の発見かもしれません。それを、身を持って知れた。
何と私は幸せ者か。
ありがとうございます。ただ感謝あるのみです。