2014年10月27日月曜日

他人をどうこうしようと考えない

日頃から、他人をコントロールしようということは良くない。それぞれを尊重すべき、ということを持論にしていますが、その他人が自分や自分の大事な人に攻撃や干渉をしてくる場合、他人は他人で済ませるのが困難な状況も出てくるでしょう。

でも、結局は「人を何とかせず、自分が何とかなる」という普遍的な法則以外ないのです。

子供を教育という言葉のもとに、こう育てていく、と強権発動したり、厳しさを出していくことは、その姿だけを子供は引き継ぎ、人格者は間違いなく育ちません。

正しいことを伝えるために声を荒げれば、荒げた部分だけが引き継がれるのです。

子育てにおいて、なにがあっても怒って、怒鳴って、殴ってはいけない、という絶対原則にたどり着くのが私はちょっと遅かったです。
世の中には厳しさを賛美し、どうしても抑えられない母親の味方をする子育て本が蔓延しています。実際、野放図にした親の子供はとんでもない周りの迷惑を考えない(というより、社会の共同生活ルールを把握して履行できない)子供になっています。でも、これは親の姿がそのまま子供に反映されただけで、恐らく、怒らないことに問題があるのではないのだということも、今ようやく確信しました。

我が家の子供は、これやってくれたら嬉しいな、ということを伝えると喜んでやってくれる。小学生になって、よりそれが顕著になって、実に驚いています。
しかし、まさに母親が上記を実践し、怒りを持たずに説明をしてきた子育てが今、形になったのではないかと思うのです。
色々やり方に難点もあったのは事実ですが、彼女は、一番大切な大原則の部分をしっかり子育てに反映してきたことが、子供の美しい姿になって結実したのだと思います。
現に、我が家の子供たちは母親とコミュニケーションをこれでもかというくらいとっています。
沢山遊んでくれたお父さんは、今も遊んでくれる楽しい人ですが、些細な日常を語り合える存在にはなっていません。
ある程度、一緒にいる時間の差などにより仕方ない部分もありますが、やはり自分の親業が、母親である妻より未熟であったという結論ではないかと、身にしみている今日です。

今は、この真理に気づけたことへの感謝と、これからも子供たちとの時間は続くのですから、より一層自分の言動が彼らに直接影響することを念頭におきながら、彼らと接していくことです。

そして、これは会社や世間を含めて、どこにでも当てはまる真理であることも忘れないでいたいです。